ヘンゼルとグレーテル

 昔、どこかの大きな森の入口に、貧しい樵の一家が住んでいました。
 樵の男には、おかみさんと、ヘンゼルとグレーテルという2人の子供がいました。子供達は丸々と太っていて、とても食いしん坊でした。けれどおかみさんはもっと太っていて、もっと食いしん坊でした。だからおかみさんは、子供達の分の食べ物も、自分で食べられたらいいのにと、いつも思っていました。おかみさんは子供達の本当のお母さんではなかったのです。

 ある日、仕事を終えお腹を減らして帰って来た樵に、おかみさんが言いました。
「あの子達はわたしがどんなに食べ物を用意しても、あっという間に食べてしまいます。あなたの分もわたしの分も全部食べてしまいます。もうこの家には、食べる物がありません」
 樵は仕方なく、その日は何も食べないで寝ました。
 翌朝も、何も食べずに仕事に出掛けました。
 次の日も、その次の日も、おかみさんは同じことを言って、食事の支度をしてくれません。それどころか、樵が仕事の合間に拾い集めて来た、果実や木の芽まで、おかみさんに全部取り上げられてしまいました。
「子供達は育ち盛り、食べさせないわけにはいかないのですよ」
 そう言いながらおかみさんは、深い溜め息をつきました。
 樵は日に日に痩せて、身体が弱って来ました。おかみさんはますます太って元気でしたが、樵はとっても気が弱かったので、おかみさんを責めるようなことは言えませんでした。

「弱ったな。これでは仕事にも行けない。どうしたらいいだろう」
 ある日樵は、勇気を振り絞っておかみさんに相談しました。
 それを待っていたようにおかみさんは答えました。おかみさんには前々から考えていた計画があったのです。
「このままではきっと、あなたもわたしもお腹が減って死んでしまいます。子供達をどこか遠いところへ捨てて、帰って来られないようにしてしまいましょう」
 樵は吃驚して、大きく首を振りました。
「そんな、いくら何でも。それでは子供達が可哀想だ」
「何を言っているのですか。仕事が出来なければ、次の日の食べ物も手に入らないのですよ。そうなれば子供達は結局死んでしまうのです」
 おかみさんはたたみかけるように言いました。
「子供達はたとえ捨てられても、どこか親切な人に拾われて生きていけるかも知れないじゃないですか。このままでは4人とも死にます。子供達のためでもあるのですよ」
 樵にはとてもそうは思えませんでしたが、おかみさんの言い分には妙な説得力がありました。その内だんだん樵にも、おかみさんの言うことがもっともだという気がしてきました。普通に働いて、おかみさんと子供達の食欲を満足させることが、今更ながらひどく困難なことのように思えて来たのです。樵はおかみさんの意見に従うことにしました。
 両親の企みも知らず、子供達はその頃、大きなパンに甘い木苺のジャムを乗せて食べる、幸せな夢を見ていました。

 次の朝早くヘンゼルとグレーテルは、樵とおかみさんに連れられて、ピクニックに出掛けました。森の中に分け入って、随分深いところにあるぽっちり開けた場所に着くと、樵は焚き火をおこしました。おかみさんは大きなパンを気前良く二つに割いて、ヘンゼルとグレーテルに与えました。最後だと思って奮発したのです。
「いいかい?私達は向こうで薪を拾って来るから、おまえ達はここで火の番をしておいで。このパンがお昼のお弁当だ。迎えに来るまでいい子で待っているんだよ」

 言われた通りに2人は、焚き火の番をしながら樵とおかみさんを待っていました。ところがお昼になる前にパンを食べ、じっと座っている内に眠くなり、ついにはぐっすり寝込んでしまったのです。

 目が覚めると、辺りはもう真っ暗になっていました。
「どうしましょう、何も見えないわ。わたし達置いて行かれちゃったのかしら」
 グレーテルが泣き出しました。
「大丈夫だよ。きっとお仕事が遅くなっているだけだよ」
 不安がる妹を、ヘンゼルは一生懸命なだめました。
 やがて空には大きな満月が昇り、2人を明るく照らし出しました。これなら家に帰る道が見つけられるかも知れません。
「グレーテル行こう。お家に帰るんだ」
 ヘンゼルは立ち上がって言いました。
 それからヘンゼルとグレーテルは、夜通し森の中を歩きました。けれど、家に帰れるどころか、森から出ることさえ出来ません。
 さらに一日歩きました。
 2人はもう空腹で、お腹の皮が今にも身体を突き抜けそうになっていました。その間に食べた物といったら、森の中に落ちている、ひねた固い実だけだったのです。

 夜が二つばかり過ぎたお昼頃。
 2人はとうとう疲れ果てて、大きな樹の根元に座り込んでしまいました。
 その時です。
 一羽の白い小鳥が、2人のすぐ目の前の枝に止まりました。
「よしっ、焼き鳥だ!」
 ヘンゼルが歓声を上げました。ヘンゼルの言葉にグレーテルもパッと瞳を輝かせました。それにしても小鳥が同じ所に止まったまま、捕まえられるのを待っているわけがありません。ヘンゼルの伸ばした指の先を、スルリと躱して舞い上がった小鳥は、まるで2人を揶揄うように、低く緩やかに樹々の間をすり抜けて行きました。ヘンゼルとグレーテルは、疲れも空腹も忘れて、夢中で小鳥を追い掛けました。
 結局小鳥は見失ってしまいましたが、知らない間に小さな家の側まで来ていました。
「この家、何だか甘い香りがするわ」
 グレーテルが鼻をくんくんさせながら言いました。それもその筈です。その家は全部お菓子で出来ていたのですから。屋根は甘い甘い卵菓子、壁はふかふかのパン、窓は氷砂糖でした。
「すてき、すてき」
「食べちゃえ、食べちゃえ」
 早速グレーテルは、氷砂糖の窓をぽりぽりとかじり始めました。ヘンゼルは屋根に上って、卵菓子の大きな欠片を頬張りました。
 と、不意にお菓子の家の扉が開きました。
「わたしの家をかじっているのは誰だね?」
 家の中から、木の杖にのしかかった老婆が、まるで這うような足取りで出て来ました。ぶよぶよに太っていて、皮膚の皮が象のように垂れ下がった、物凄い年寄りのおばあさんです。ヘンゼルもグレーテルも思わずギョっとして、手にしたお菓子を落としてしまいました。
「おお、おまえさん達かね。いいよ、いいよ。脅かしてすまなかったね」
 おばあさんは2人の姿を見つけると、顔をクシャクシャにして笑いました。あんまり気持ちのよい笑顔ではありませんでしたが、とにかく怒ってはいないようです。2人は少しほっとしました。
「こんな所まで良く来たね。きっと道にでも迷ったのじゃろうな。さあさ、中へお入り。美味しい物がたんとあるよ。柔らかいベッドもあるよ。遠慮せずに寝んでおいで」
 ヘンゼルとグレーテルは本当にお腹が空いていたし、ヘトヘトに疲れてもいたので、おばあさんに勧められるまま、お菓子の家に入り、たっぷりのご馳走を食べて、ふかふかのベッドでぐっすり眠りました。

 このおばあさんは実は、子供を食べる悪い魔女だったのです。
 魔女のおばあさんは、昔は遠くまで子供を攫いに飛んで行ったのですが、今ではすっかり年を取って、おまけに太り過ぎてしまったので、ホウキに乗れなくなっていたのです。そこで魔女のおばあさんは、迷子になった子供達を待ち伏せすることにしました。甘いお菓子の家は、上手に子供達を誘い込むためのワナだったのです。
「まあまあ、良く肥えた子供達だこと」
 ヘンゼルとグレーテルの寝顔を覗き込んで、魔女は呟きました。
「これはちょっとばかり脂抜きしないと身体に悪いねぇ」
 太り過ぎを気にしていた魔女は、子供達にご馳走を食べさせたことを、少し後悔しました。寝る前の食事が殆ど贅肉になることを、魔女は知っていたのです。

 翌朝ヘンゼルとグレーテルは、お菓子の家が魔女の棲み家だったことを知りました。
 魔女は子供達が適当に痩せるまでの間、家の中の雑用を全て子供達に押し付けて、こき使うことにしました。魔女はダイエットには関心がありましたが、とっても無精者でした。
 可哀想にそれからというもの、ヘンゼルとグレーテルは、朝から晩まできりきり舞いに働かされました。食事は野菜の屑に魚の皮や骨ばかりです。その方が肉が引き締まって美味しくなるに違いないという、これもまた魔女の周到な計画でした。そうして魔女のおばあさんは、毎朝子供達を起こしに来る度に、2人の身体をポンポンと叩いて、どれくらい痩せたかを確かめるのでした。
 2人は何度か逃げ出そうとしましたが出来ませんでした。お菓子の家の周辺は、魔女の魔法で行き止まりになってしまっていたからです。

「おかしいねえ」
 ひと月ばかり過ぎた頃、いつものように朝の点検を終えた魔女は、不思議そうに首を捻りました。あんなに働かせているのに、子供達がこれっぽっちも痩せていなかったからです。本当は、痩せたら魔女に食べられてしまうと思ったヘンゼルとグレーテルが、寝る前にこっそり、寝床の藁を服の下に詰め込んでいたのです。粗末な食事なりに栄養は十分でしたので、2人は血色も良くいたって元気でした。ただ太っていただけの以前の子供達とは、明らかに違っていたのですが、年老いた魔女は、目もかなり悪くなっていたので、気が付かなかったのです。
 それでもさらに半月が過ぎる頃には、魔女はもう待ち切れなくなってしまいました。そこでついに子供達を食べることにしたのです。

「おまえ達を今日の晩ご飯にするよ」
 その朝魔女は、子供達にそう言い渡すと、そのまま2人を鳥籠のような檻に閉じ込めてしまいました。そして台所にある大きな鍋で、子供達を煮て食べるための支度を始めました。けれどもこの一月半の間、家の仕事を何から何まで子供達に押し付けていたので、魔女は運動不足で、前よりもさらに太っていました。鍋に水を汲むためにしゃがみ込んだり、火を点ける薪を積むことにさえも、大変な労力が要るのです。それを見てグレーテルが魔女に言いました。
「おばあさん。わたしもう逃げるの諦めたわ。だからせめて、わたしが煮られる鍋の水をわたしに汲ませて下さいな」
「僕もです」
 ヘンゼルも言いました。
「僕が煮られる時に、薪がきちんと燃えないと、長く苦しまなければならないもの。僕に薪を積ませて下さい」
「そんなことを言って、檻から出したら逃げるんじゃないだろうね」
 ふふんと魔女は、鼻で笑いました。
「逃げたりなんかしません」
 グレーテルはなおも続けて頼みました。
「だっておばあさんの魔法があるんですもの。そんなこと出来ないわ」
 この言葉には魔女もすっかり心を動かされました。実際に水汲みとか薪積みといった作業は、魔女のおばあさんには相当な重労働だったのです。
「解った。それほど言うのなら望み通りにしてやろう」
 魔女は檻の鍵を外して子供達を解放しました。
 ヘンゼルとグレーテルは日が暮れるまで黙々と働きました。いっぱい時間をかけて、自分達が煮られる鍋の支度をしました。スープ皿とスプーンをピカピカに磨くところからやったのです。やがて辺りが暗くなる頃、全ての準備が整いました。
「よしよし。鍋の湯はゴトゴト煮えてるし、火も勢い良く燃えている。後はおまえ達をこの中に放り込むだけじゃ」
 魔女は満足そうに頷きました。そして、鍋の前に立っていた子供達を、両手でむんずと掴もうとした時のこと。
 ヘンゼルとグレーテルは、実にすばしっこく魔女の脇を摺り抜けました。思ってもみなかった子供達の動きに、魔女は動転してしまいました。魔女にこき使われてすっかりスリムになった子供達は、とても敏捷になっていたのです。体勢を立て直す暇もありません。2人は、まごまごしている魔女を目掛けて、反対側から鍋の底を思いっ切り蹴り上げたのです。煮立った湯を頭から浴びせられた魔女は、あっけなく死んでしまいました。

 魔女の魔法が解けた森は、2人の見覚えのあるものでした。これなら家に帰る道も解ります。
 漸く辿り着いた我が家では、樵のお父さんが、大喜びで2人を迎えてくれました。お父さんは子供達を捨てたことを、ずっと後悔していたんですね。継母のおかみさんは、あれからまもなく生活習慣病で亡くなっていました。
 子供達は逃げる時に、魔女の家のあちこちから、金目になりそうな物を物色して持ち帰りました。それは大層なお金になったので、樵の一家は働かなくても十分に豊かに暮らしていくことが出来ました。けれど、魔女に散々こき使われたお陰で、ちょうど良い位に痩せて健康になったヘンゼルとグレーテルは、それからは太り過ぎに十分注意して暮らしたそうです。